第二次高城合戦(根白坂古戦場跡)

更新日:2026年03月11日

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天正15年(1587)4月6日

天正15年(1587年)4月、羽柴(豊臣)秀長率いる羽柴軍は、総数10万とも言われる軍勢を以て高城を包囲しました。高城を守る島津方の山田信介有信はわずか1,300余りの兵士で城を守っており、羽柴勢の猛攻を受け防戦一方であった。

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高城縄張図(八巻孝夫作図)

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高城縄張図(主郭部)

高城を守る山田信介有信は、都於郡城(西都市)に詰めている島津本軍に援軍を要請し、島津軍総大将、島津義久は弟の義弘、家久を中心に2万の軍勢を以て高城の救援に向かった。

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木城町史友会 山内正徳氏作成図を基に構築したもの

天正15年(1578)4月17日

高城の救援に向かうには根白坂の奪還が必定であったため、4月17日夜、島津軍は同地を守る宮部継潤に対し夜襲を仕掛けるも、周辺に陣取った羽柴諸侯の援軍もあり、島津軍は多数の犠牲者を出すことになり、朝方、周辺に火を放ちながら撤退、奪還は失敗に終わった。この敗北をきっかけに、総大将 島津義久は、剃髪して薩摩国(鹿児島県)薩摩川内の泰平寺に着陣していた羽柴秀吉に降伏を伝え戦いに終止符が打たれた

高城跡と根白坂古戦場

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高城跡(遠景写真)

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根白坂古戦場案内看板

現在の根白坂周辺の様子(製作中)

内容は随時更新していきます。