十一面観音坐像

更新日:2023年03月30日

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左右に垂れ幕があり、その下で鎮座している十一面観音像の写真

種別

有形文化財

指定

平成2年7月5日

所在地

木城町大字高城3874-1

概要

 天正6年(1578)、新納院高城の地頭となった山田新介有信は、領主の島津義久の命により、高城合戦(耳川の戦い)による敵味方双方の戦死者を供養するため、この坐像を建立した。

 十一面観音とは、人々の様々な苦難に対応するため、すべての方向に顔を向けた観音で、像の頭部に11の顔を表現しており、それぞれに人々の苦しみを救う力が秘められている。本像の十一面の配置の特徴は、正面3面が慈悲、左側面3面が憤怒、右面3面が牙をむき、後背1面は大笑、頂上が阿弥陀仏面となっている。なお、高さは76センチメートルである。

 この制作には、泉州堺の大仏師である「隆恵法目」に依頼をしており、高鍋藩の寺社帳などにこの像の制作についての記載がある。像の体内には墨書による銘文が記されており、右肩の材内には「泉州堺之住 大佛師『隆恵』法目作之」、体部右側には「當地頭 源朝臣山田新介有信」と記されている。

 残念ながら本像は、制作されてから既に400数年経っており、頭上面の大半を失っている。現在は地元の地区の住民を中心に定期的な清掃活動が行われ、大切に保護されている。

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