高城城跡

更新日:2023年03月30日

ページID: 1425
山間部の住宅街の真ん中に川が流れている写真

種別

史跡

指定

昭和62年12月7日

所在地

木城町大字高城3528-1

概要

 天正6年(1578)年、島津氏と大友氏により戦いが繰り広げられ(耳川の戦い)、島津軍の山田新介有信が守り抜いた山城である。

 天正15年(1587)年には、豊臣秀吉の弟の秀長が大軍を率いて攻めてきたが、有信率いる城守備兵は最後まで戦い、援軍が根白坂の夜戦に敗れ島津氏が降伏するまでこの城を守り抜いた。

 発掘調査は平成4年11月30日~12月17日まで行われた。史跡の状況は中世の山城としての形をとどめており、丘陵の東端部に主郭(本丸跡)と考えられる曲輪(二ノ丸跡)があり、土塁も残存している。

 本丸跡と二之丸跡が隣接する部分には第一空堀跡があり、城山公園の西側ゲートとの間には5本の空堀跡(第2空堀跡~第6空堀跡)がある。出土遺物は土師質土器や青磁・白磁の椀・皿等であり、大部分が16世紀ごろのものである。

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