木城町の歴史

更新日:2023年03月30日

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神社の鳥居があって奥に社殿があり両脇にのぼりが立っている写真

比木神社

木城町は古来高鍋秋月藩の治下に属し、明治4年の廃藩置県になるまで、その領政の支配を受けていたが、明治16年宮崎県の児湯郡役所の所轄となった。その間は椎木、高城、石河内に戸長役場があり、行政は3つに分れて行われた。その後高城村外 5ヶ村の戸長役場となり、明治22年の市町村制の実施に伴い当時の椎木の『木』と高城の『城』を組み合わせて『木城』としたのが始まりである。
本町は国道10号線を西に隔たること約6キロメートル、東児湯5ヶ町のうちでただ一つこの幹線道路に沿っていない町である。しかし往古は日向国の交通の要衝となっていて、その文化度は他地方より高かったことが推察される。町内に散在する古墳群、特に大化の改新以後の駅路の制に設けられた児湯の駅は、わが高城にあったことは今日史家の定説となっており、木城は日向の国における要地になっていたのである。

明治22年の市町村制の実施で、木城村と呼称し、大字椎木、高城、川原、石河内の4大字であつたが、昭和37年4月1日東米良村大字中之又地区を編入し5大字となり、その後、昭和48年4月1日に町制を施行し、木城町となり現在に至っている。